作品名 作者名 カップリング
No Title ピンキリ氏 -

 人は常に人生の表通りを歩いているわけではない。
人生の裏道はある。裏の顔がある。誰にでも。
 裏道に行ったまま、表通りに戻ってこない者がいる。
ほんの少ししか、裏道を通らない者がいる。
裏道が表通りになってしまった者がいる。
 人生は、表通りと裏道を行ったり来たりしながら、前に進むものだ。
表通りと裏道、どちらが本当の“その人”なのか。
行き帰りする度に、人は全てを変える。全てが変わる。
本当の自分を晒すのか、それとも仮面を被るのか。どっちなのか。
それは本人にしかわからない。

 深夜の繁華街というものはどこかいかがわしさを感じさせるものだ。
太陽が昇っている間には絶対に発せられることのない、開放感を伴った猥雑な空気。
それでも、表通りはまだ正気を保っている。ラーメン屋や飲み屋など、“一般人”の世界だ。
だが、一歩裏通りに入ってみればどうだろうか。無論、住宅街ではないほうだ。
道は細くなり、街灯以外の灯りが減り、倒れたゴミ箱を野良犬が漁っており、風俗やパチンコのチラシが風に舞う。
小さなバーやラウンジ、自動販売機が存在感を必死に訴えている。
 さて、ここに一人の女がいる。少女ではない。
闇に同化するような黒いコートを羽織っている。
彼女は今、まさにその裏通りを歩いている。
周囲に人影はない。物音もない。
ただ彼女のハイヒールのコツコツという音だけが、アスファルトの上に響いている。
 彼女は裏通りを進み、その突き当たりにある建物の入り口の前に立った。
建物は三階建ての小さなビルのようなものだったが、そのどの窓からも灯りは漏れていなかった。
彼女は扉の横にある、小さな呼び鈴のスイッチを押した。
次に、扉の右斜め上を見上げ、小さく手を挙げた。
ひさしに隠れるように、小型カメラが設置してあるのだ。
十数秒程してから、ギギギと耳障りな音がして、扉がゆっくりと開いた。
中から男が出てきた。まだ若い。二十代の半ば辺りだろうか。その顔は凍ったように無表情だ。
「……お待ちしておりました。どうぞ」
 彼女は頷くと、男の脇を通って建物の中へと入った。
姓名の確認は必要ではなかった。
彼女はこの建物に、過去何度も出入りをしていたからだ。言わば顔パスだ。
彼女は扉の先の通路を進み、下へと続く階段に足をかけた。
そう、この建物に灯りがついていないのは、深夜だからではない。
建物の本当の“中身”は、地下にあるのだ。
ハイヒールがコンクリートを踏む音が、まるでホラー映画のワンシーンのように壁に何度も反射する。
二十段程降りただろうか、彼女の行く手をまた新たな扉が塞いだ。
彼女は手を伸ばすと、ノブを回して、扉を押し開けた。
その瞬間、異様な臭気が扉の向こうから漏れ出し、彼女の全身を包んだ。淫らな臭いだ。
彼女は、それにまったく臆することなく、昂然と中へと入った。


「ああ……あはぁ」
「ひっ、いい、いいの、もっとぉ、もっとシテえ」
「お尻、お尻がいい、いいんです」
「ほら、もっと泣け、いい声で泣け」
 そこは、完全に常軌を逸した空間だった。
裸、裸、裸。
布を身にまとっていたとしても、糸か紐か分からない程に面積が狭い。
そんな男女が十数人、汗と淫液に塗れ、
ソファーの上で、床の上で、テーブルの上で、体を重ねあっていた。
その中を、彼女は歩を進めた。まだ、彼女の目的の場所は先だ。
「ひい、ひいい……」
 彼女の横で、まだ二十歳を越していないと思われる若さの少女が、
太った中年男性に背後から刺し貫かれていた。
しかも、普通のセックスではない。
少女の白い背中には赤い斑点がいくつもあった。蝋だ。
中年男性は、腰を振りながら、少女に蝋を垂らしているのだ。
「ひぐっ、ひい、ぐうっ」
「ほおれ、もっといい声で泣かんかぁ、でないと、もっともっと熱い目にあうぞぉ」
「ぐふぅ、ううっ、あうっ、ああんっ、あう」
「ふふはは、そうそう、そうだ。おほ、いいぞ、しめつけがキツくなってきたわい」
 中年男性は嬉しそうに吠えると、腰の速度をより速めた。
「ぐふぅ、ふう……」
 彼女はちらっと二人を見たが、気にする風もなく、すっとその前を通り過ぎた。
「あふぅ、あふぅう」
 少女は苦痛を感じているようだった。だが、その表情は笑っていた。
そう、虐められながら、屈辱とも言える犯され方をされていながらも、少女は悦んでいたのだった。
周りの男女は、皆そんな状態だった。
少女と中年男性の向こうでは、若い男がケバい化粧の女に絡みついていた。
両手を後ろで縛られ、目隠しをされ、ただ舌のみで女の全身を舐めている。
 そんな異常過ぎる部屋の真ん中を、まるで何事も起こっていないかのように、彼女は歩いていった。
彼女の目の先には、扉がある。建物の入り口を含めて、これで三つ目の扉だ。
まるで飾り気のない、金属製の扉。
彼女はその扉の前に立つと、さっきと同じように押し開けた。

 その中は、彼女が通ってきた部屋とは違い、まだ空気は清浄な方だった。
「お待ちしておりました」
 入り口にいた男とは、また別の男が部屋の奥から進み出て、彼女の前で頭を下げた。
「準備は整っております……小宮山様」
 そう言うと、男はより深く頭を下げた。
「ありがとう」
 彼女―――小宮山は男に礼を言った。
そして、赤い舌をチロリと覗かせると、唇をレロッと一舐めした。
「後からもう一人連れが来るの。入り口に来たら、ここに通して」
「はい」
 男は再度礼をすると、扉を開けてその向こうに消えた。

                 ◆                     ◆


「ふふ……」
 小宮山は笑った。
今、彼女の目の前に、一人の少女が立っている。
明るい色の短い髪、そして大きな胸の少女が。
「よく来たわね、矢野さん」
 名前を呼ばれて、その少女、矢野アキはビクリと体を震わせた。
「こ……みやま、せんせい……」
「うふふ、この場所、わかりにくくなかったかしら?」
 それには応えず、アキは小宮山の方へ一歩進み出た。
小宮山は豪奢に椅子に足を組んで座ったまま、動かない。
「返して下さい、あ、あの写真を」
 アキは顔を赤らめ、だがはっきりとした口調で小宮山に迫った。
「これのことかしら?」
 小宮山はコートのポケットから、数枚の写真を取り出した。
「あ……!」
 アキはそれを取ろうと、小宮山に踊りかかったが、背後にいた黒服の男に押さえ込まれた。
「それ、それを……っ!」
 じたばたと暴れるアキ。だが、さすがに男を払いのける程の力は無い。
「ふふっ、よく撮れてるでしょう?」
 写真をヒラヒラと、アキに見えるように小宮山は振ってみせた。
「あなたってホント、イヤらしいのねぇ……」
 その写真には、アキの自慰に耽っている姿が写っていた。
場所は放課後の学校の更衣室、床にだらしなく尻をつき、
制服を乱し、大きく開脚して、秘所を弄くるアキの姿が。
「やああっ、いやあ」
 アキの悲痛な声が地下室中に響いた。
「うふふ、気持ち良さそうな顔よねえ」
「やめて……いや……ぁ」
「学校の更衣室で、いけないことをして……ああ、何てイヤらしい娘なのかしら」
 アキは首をふるふると振った。
涙が流れ、頬から落ち、床を濡らす。
「こっちの手に持っているのはハンカチね?」
 小宮山は椅子から立ち上がった。
同時にコートをハラリと脱ぎ捨てる。
アキは目を瞠った。コートの下、小宮山は信じられない格好をしていた。
ボンテージルック、妖しいマンガに出てくる女王様といった感じだ。
「想い人のハンカチに鼻を押し付けてオナニーするなんて……淫乱少女ね」
「ううっ」
 アキは小宮山から目を背けた。
小宮山はアキに近づき、しゃがむと、アキの髪を掴んで自分の方を再度向かせた。
「ひいっ!」
「目を開けなさい、これに写っているのはあなた。イヤらしいあなたよ」
「うう、ううう」
 小宮山は立ち上がると、手を振って男を下がらせた。
解放されたアキだが、小宮山から写真を奪い返す力も気力もすでに奪われていた。
ただ、床に突っ伏し、「イヤ、イヤ」と涙を流すのみだ。
「うふふ……」
 小宮山はピンヒールの音をたてて、アキの周りをぐるぐると回った。
そして、追い討ちの言葉を次々を浴びせかけた。
「まさか、アナタがこんな性癖の持ち主だったとはね」
「ほら、この顔……うっとりとしてて、何て淫らなのかしら」
「それに足もこんなに開いて、しかも学校の更衣室で」
「本当、変態ね」
 小宮山の言葉の槍は、アキの背中を容赦なく突き刺す。
アキはそれに反論出来ず、ただ床を濡らして泣いた。


「矢野さん、起きなさい」
「ううっ……」
「起きなさい、と言っているのよ」
「ひぐっ!」
 小宮山はピンヒールの爪先で、アキの脇腹を軽く蹴った。
アキは電気でも流されたように、上半身を跳ねさせた。
「ほら、ほらほら」
 アキの首筋を小宮山は両手で掴むと、思い切り引っぱり上げた。
糸の切れた操り人形のように、フラフラとアキは立ち上がった。
「何、立てないの?情けないわね」
 小宮山はアキの首から背中に手を回し、抱え上げた。
「堂々とあんなことをしておきながら、結構弱い心なのね」
 部屋の端にあるベッドに近づくと、小宮山はアキをその上に投げ捨てた。
「ふふっ」
 次に小宮山はロープを手に取った。アキの両手を縛り、ベッドに固定する。
「あ……うう……」
 アキはまったく抵抗しなかった。いや、出来なかった。
手を動かそうと思っても動かない、足を動かそうと思っても動かない。
心に鎖をかけられた。そんな状態だった。
「矢野さん、あなたはイヤらしい女の子だわ」
「……ぅ」
 口も、舌も動かない。
アキの体で動いているのは、涙を流す目だけになっていた。
「あの写真に写っている姿、それがあなたの本当の姿なのよ」
 小宮山は一度ベッドから離れると、部屋の隅にある棚から、容器をひとつ取り出した。
そのラベルの貼られていない容器を開け、人差し指を突っ込んだ。
「そして、今あなたの目の前にいる女、小笠原高校化学教師の真の顔がこれ」
 小宮山の人差し指には、ドロリとした灰色のクリームがついていた、あむ。
そして、アキに圧し掛かると、アキの股を開かせ、下着の横から秘所にクリームつきの人差し指を差し入れた。
「くう、うう!」
 力を失ったアキは、その侵略を受けるしかない。
小宮山はクリームを、クリトリスと陰裂に刷り込むように塗り付けた。
「あう、ああっ、ん、んん!」
 身体は残酷だ。
動かす力を無くしたというのに、感覚を伝えることだけは忘れないのだ。
「ふふ、矢野さんって濡れ易いのね」
 小宮山は指を離した。
指を自分の顔に持っていくと、くんくんと臭いを嗅ぎ、そしてペロッと口に含んだ。
「マリア先生に悪いことしたかもね……先に矢野さんのアソコを征服しちゃった」
 いたずらっぽい笑いを小宮山は浮かべた。
子どものようなそれではない。魔女のものだ。
「ねえ矢野さん、イヤらしいのは悪いことじゃないわ」
 今までと一転、小宮山は優しい口調でアキに語りかけた。
「私が、あなたの本当の姿を暴いてあげる。解放してあげるわ」
 その言葉は、アキの耳に届いていたが、アキはそれを言葉として理解出来なかった。
「うう……あはぁ……」
音は聞こえているのだが、声ではない。意味を成さない。考えられない。
小宮山に蹂躙された秘所が異様に熱い。疼くように熱い。
腰の奥が痺れる。
太股が揺れる。
「さっきのクリームは即効性……」
 部屋の中央にある円卓、小宮山はその上にあるベルを手に取ると、二度リンリンと振って鳴らした。
「別世界に連れて行って、いいえ……本当の自分を教えてくれるわ」
 ガチャリ、と入り口の鉄製の扉が開いた。
両脇を黒服に支えられ、一人の男が部屋に入ってきた。
「あ……」
 モヤがかかった目で、アキはその男を、少年を見た。
「あ、ああ、ああああ……ぅ」
 それは、彼女の想い人。城島シンジだった。


「あう、ああう……」
 ヨダレを垂らしながら、アキは呻いた。
それは悲鳴か、恨み言か、それとも歓喜の叫びか。
「ふふっ」
 小宮山は黒服を下がらせると、シンジに近寄った。
その目は虚ろで、生気が無い。
「今、彼は暗示にかかってるわ」
 そう言いながら、小宮山はシンジの服のボタンを外し始めた。
「私の言うことは何でも聞くの」
 上の次は、ズボンのチャックに指をかけた。
ジジ、ジジッと、時間をかけてチャックを下に降ろしていく。
「うふっ」
 チャックが完全に開ききった時、その中から勢いよく、ペニスが飛び出してきた。
すでにそれは固く、そそり立っている。
「さっきからずっとカチコチにしてるのよ、彼……」
 小宮山はシンジのそのペニスをそっと握った。
シンジは一瞬ビクリとしたが、表情は変わらずに固いままだった。
「今からこれが、あなたを天国を与えるのよ」
 シンジの頬に顔を寄せ、小宮山はペロリとそこを舐め上げた。
「…………」
 アキはしゃべれない。
体が熱い。ひたすらに熱い。
シンジがいる。好きな人がいる。
シンジのペニスが、想像の中でしか見たことのないそれが、今、目の前にある。
欲しい。欲しくない。いや、欲しい。
私はいやらしい女。淫乱な女。
犯してほしい。初めてをあげたい。
熱い。我慢出来ない。アソコが、その奥が、熱くて熱くてたまらない。
「……う」
 アキは首を上げ、舌を動かした。
言葉は出てこなかった。
「欲しい」と言ったつもりなのか、「好き」と言ったのつもりなのか。それとも別の言葉なのか。
アキのだらしなく開いた唇からは、声でなく、ただ唾液しか出てこない。
「ふふふ、矢野さんはやっぱりイヤらしい娘ね」
 小宮山はシンジの背中を押した。
「さあ城島君、矢野さんを犯しなさい」
 そして“命令”した。
「服をビリビリに破いて、アソコをグチョグチョに突いて、溜まった欲望をその中に出してあげなさい」
 シンジはゆっくり、ゆっくりとアキの寝ているベッドに歩み寄った。
まるで、ホラー映画のゾンビのような足の進め方だった。
「これで……城島君と矢野さんは、私達と“同じ”になる……」
 小宮山は声高く笑った。


「……どう?私の小説もなかなかのモンでしょ?」
 小宮山は胸を張ってそう言った。その目の下には、薄っすらとクマが出来ている。
 ここは妖しいビルの妖しい地下室ではない。時も真夜中ではない。
小笠原高校というれっきとした学校の教室で、放課後になってから三十分程経った頃合だ。
「……これを全部、一晩で書き上げたというわけですか」
 長い黒髪の少女、黒田マナカはジト目でそう言葉を返した。
教室にいるのは、小宮山の他、マナカ、アキ、カナミ、ショーコのいつもの四人組だ。
「確かに、『私の小説にケチをつけるのなら、貴女も一度自分で書いてみたらどうですか』とは言いましたが」
「ふふん、畑違いとはいえ、私も教師よ。官能小説くらい書けないでどうするの?」
「仮にも教師たる人間が、徹夜してまでやることと思えませんが」
 “官能小説くらい”という言葉にカチンときたのか、マナカの口からは皮肉たっぷりの台詞が出た。
「あら?書いてみろと言ったのはアンタじゃなくって?」
「ええそうです。で、十歳離れた小娘の言葉を流せず、目の下にクマまで作って書いたのはあなたです」
 二人の間に見えない火花がバチバチと飛び散った。
「おい、ちょっと待て」
 吸血鬼も避けて通るであろうその緊迫した空間に、第三者が乱入した。アキだ。
「あーら、そういう返し方は逃げじゃないかしら?」
「逃げではありません。あきれているだけです」
 だが、土俵中央でがっぷりぶつかった二人は、その存在を完全に無視した。
と言うより、ハナから眼中に入っていない。
「さあ、読んでみてどうだったか、御高説を伺いたいわね」
「……主人公の名前が書いた本人と同じというのがいただけません。同じにする必要は無いはずです」
「おい、待てコラ。それ以前に何で私が陵辱されてるんだ」
「あーらごめんあそばせ。完全に空想で書いているアナタには理解出来ないかしら?」
「……どういう意味ですか」
「だから待てと言っとる、おい」
「私はどこぞの貧乳処女と違って、経験豊富なもんだから。ほら、実体験が反映されてるのよ」
「たいした体験ですね。教師以前に、人間として腐ってます」
「私の話を聞けや」
「高校一年で官能小説に手を染めてるアナタが言えた義理かしら?」
「官能小説は文学です。感性が低俗の谷底を突破してマントルまで行っている人には理解出来ないでしょうが」
「コラマナカ、コラ小宮山先生」
「おほほ、虚偽の内容よりは実体験に裏打ちされたもののほうが説得力があるのは間違いないのよ」
「ええ、それは否定しません。私が否定するのは貴女の人生と思考です」
「いい加減にせいや、お前ら!」


 陰と陽、SとN、水と油。徹底的に相容れない小宮山とマナカ。
真正面から切り結ぶ二人にアキが加わり、放課後の教室は荒れ狂う感情の坩堝と化した。
カナミとショーコはといえば、嵐が過ぎ去るのをただじっと待っていた。
最初は『小宮山の小説に自分達が出てこなくて良かった』と安堵していたのだが、
今はただ教室の隅で体を寄せ合い、事の推移を見守るだけだ。介入のしようもない。
「そう、どうしても負けを認めないって言うのね」
「少なくとも、コレが私の書いたものよりも優れているとは思えません」
「こら、コラこらコラ」
「なら、他の誰かに読ませて、公正な立場で判断してもらおうかしらね」
「……そうですね。この際、白黒ハッキリさせた方がいいかもしれません」
「な、ちょ、おま、待て待て待て待て」
「読むのは、そうね、やはり男性の方がいいわね。じゃあ城島君ではどうかしら?名前使った手前もあるし」
「望むところです。あの人ならこういう眼識に長けていると思われますから」
「ダメ、だめダメだめダメだめダメーッ!」
 止めるアキを突破し、教室の外へと向かう二人。
カナミとショーコは離れて見送ることしか出来なかった。
本来ならカナミは悪ノリして小宮山とマナカの応援でもするところだが、さすがに今回は空気がそれを許さなかった。
「だめ、ダメ、だめ、お願いやめてとめてやめてとめて」
 アキは小宮山とマナカにしがみついた。
だが、二人はまるで気にしない。この争いに決着をつける、二人の頭にあるのは、ただそれだけだった。
他の何かが入る余地は一片のカケラ程も無い。
「さあ、城島君の教室まで行くわよ。彼、掃除当番だからまだ残ってるはずだわ」
「ええ、行きましょう」
「いやー、いやー、勘弁してぇぇぇ」
 半泣き状態のアキ。
他人が書いた文章の中とはいえ、自分が痴態を晒しているのだ。
そんなもん見られたくない。恥ずかしいとかそういう次元ではない。
だが、彼女の心の叫びも、二人には届かなかった。
ガラガラと教室の扉が開けられて―――

「おーいカナミ、今日の晩御飯のことなんだけど」
 嗚呼、何とタイミングの良い、いや悪いことか。
小宮山が扉を開けようとしたまさにその時、件の城島シンジがこの教室にやって来ようとは。
望むべきことは聞き届けてくれず、望まざることは勝手にゴーサインを出す。
この世界を統治する神とはおそらくそんな奴なのであろう。
「へ……小宮山先生、マナカちゃん?」
 シンジは二人の姿を見て、一歩後ろに下がった。
普段鍛えた(鍛えられた)危険察知レーダーが反応した……のもあるが、
それ以上に目の前にいる小宮山とマナカの異常な様子に怯んだのだ。
小宮山とマナカ、二人の目は獲物を狙う猛禽類そのものだった。
「ふっふっふ、これは丁度良かったわ」
「お兄さぁん、お兄さんに会いたかったんですよ」
 妖しい手つきで、ジリジリとシンジに迫る二人。
その体から形容し難い謎のオーラが出ている。
「うわ、うわ、うわわわわ、わわあわわわわわわわわあああー」
 シンジは回れ右をすると、脱兎のごとく逃げ出した。
ま、当然だろう。経験上、ロクなことにならないのは目に見えている。
「逃げてぇぇぇぇ、お兄さん逃げてぇぇぇ!」
 その背中に、アキが必死に言葉を投げかけた。もっとも、格好は情けない。
何しろ、シンジに追いすがる小宮山とマナカに引き摺られているのだから。
「マナカァ、小宮山先生ぃ、待って、お願いだから待ってぇぇ」
 満身の力を両手の指に込め、二人の服の裾を掴むアキ。
二人はといえば、アキに視線を送ることなく、ただシンジのみを求めて廊下を走る。
しかし小宮山の白衣とマナカの制服、よく破れないものである。
「あわわわわ」
「待てぇぇ」
「止まれぇぇ」
「逃げて待って止まってぇぇぇ」
 全力で廊下を駆ける三名(プラス引き摺られる一名)。
途中生徒や教師が何人か引かれたようだが、追いかけっこは止まりはしなかった。


「……」
「……」
 かくて教室には、カナミとショーコの二人が残された。
数分程自失していたが、やがて復帰すると窓に近寄り、開放すると下を恐る恐る覗き込んだ。
「ああ……」
「……おお」
 三名プラスワンによる白熱の追撃戦は、丁度校内から外へと舞台を移したところだった。
校門の辺りに、彼らが残した、まるで西部劇のワンシーンのような砂埃がもうもうと立ち込めている。
「……ショーコちゃん」
「ん、なあに?」
「……帰ろっか。私、晩御飯のお買い物に行かないと」
「あー、私も彼氏と予定があったんだっけ」
 二人はいそいそと帰り支度を始めた。
追いかけっこは、既に二人の手の届かないところに行ってしまった。
おそらく、カナミが家に帰り着く頃には、何らかの決着がついているであろう。
「じゃ、校門まで一緒に行こっか」
「うん、そうね」
 カナミとショーコは廊下に出ると、下駄箱を目指して歩き始めた。
途中、騒ぎに巻き込まれたのだろう、廊下に坪井先生やら新井カズヤやらがズタボロで転がっており、
さらにどう関わったものか、栗色の長髪の少女も消火器の横で昏倒していた。
二人はそれらを避けて通ると、下駄箱で靴を履き替え、校門をくぐり、表に出た。
「また明日ね、ショーコちゃん」
「またね」
 二人は別々の方向に足を進めた。
カナミは晩御飯の買い物に、ショーコは彼氏と会いに。

 その日の夜遅く、シンジは家に帰ってきた。
カナミ手作りの御飯を食べることなく、玄関で力尽きて倒れてしまった。
いったいどれ程走ってきたのか、靴は磨り減ってボロボロになっていた。
 
 翌日、疲労困憊のシンジは学校を休んだ。
小宮山、マナカも同じく学校を休んだ。疲労と足の痛みを理由に。
ただアキだけが登校した。
どうやら早い段階で振り落とされたらしい。
肘や膝にシップを貼り付けていたが、その程度で済んで幸運だったということだろう。
しかしやはり疲れは取れなかったようで、授業中ずっとアキは机に突っ伏し、居眠りし続けた。
昼休み、カナミとショーコはアキに前日の追撃戦の仔細を尋ねたが、アキは力無く首を左右に振るだけだった。
シンジがどこまで逃げたのか、小宮山とマナカがどれくらい走ったのか、アキもわからなかったのだ。
アキは自分が覚えていることを、ぽつりぽつり、カナミとショーコに告げた。
小宮山の小説は、走っている最中に小宮山の手から離れ、校門横の川に全部落ちていった―――と。
カナミとショーコは目を合わせ、ひとつだけ頷くと、それ以上アキに聞くのをやめた。


 これ以後、小宮山は官能小説を書こうとはしなくなった。
マナカも、無理に人に読ませることが少なくなったという。


    F       I       N

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